茨城高専創立50年を振り返って

茨城高専創立50周年となり、この同窓会も45周年を迎えることができました。本当によく継続できたものと思います。
 一回生は、今はもう在りませんが、旧東石川小学校で授業を行い、黒板はチョークで穴が開き歩けば廊下は抜けてしまうような仮校舎でした。
 学生寮といえば、旧三反田小学校の校舎を改造して、作り付けの共同の長机で勉強し、天井からは蛇や大きなムカデが落ちてくる古い建物で、風呂は交替で学生が沸かして入ったものです。入寮当時は賄いのおばさんも不慣れなせいか、生炊きのご飯であり、食べられずに急遽うどんに作り直したこともありました。
 運動も手作り、クラブは同好会から自分達で作り上げてゆく状態でした。其のためにできるだけ学校の生活環境を良くしてゆこうと考えたものです。
 当時の高専は大学への編入もかなり制限されており、当然他の高専間の交流も閉ざされておりました。この閉塞感を打破する為学生会と学校側との団交も積み重ねましたが解決の道は見つかりませんでした。
 現同総会の会長である田崎さんは、卒業時の答辞に自分達の未熟さにより、学校の改善ができなく残念と、後輩に引き続き理想の学校を築く様託した事を今でも鮮明に覚えております。
 現在の学校は専攻科ができ、大学の編入も容易にできるようになり、開放された学校になりました。さらにグローバル高専モデル事業校として、茨城高専が選ばれ海外の展開も視野に入ってきました。名実共に自分の母校として、誇れる学校になったと思います。嬉しい限りです。
 この同窓会も卒業時に立ち上げ、当初は予算もなくとにかく継続してゆくことが大事であるとの思いから、交通費も無いなか活動を続けてきました。当時の会長や幹事は全員が勤め人でしたから会合も思うように開催できず、同窓会の名簿作成が最大の任務として細々とした活動でした。
 その後1回生の根本さんが教官として母校に戻り教鞭をとる様になり、ようやく活動拠点を学校内に置くことができ、定期的に活動が行われるようになりました。それから卒業生が母校に続々と戻り、同窓会としての機能が保てるようになりました。やっと一段落したことで予算も少ないですが、増やさず、減らさずの範囲で学生のサポートと卒業生のコミュニケーションの場として展開していければよいと思っています。
 さらに母校をもっと良くしたいとの思いから、「茨城工業高等専門学校地域協働サポートセンター」を立ち上げました。  これは次世代の人材育成と地域産業の発展を目指すもので、茨城高専を中心に地域企業との間で、産学協働のサポートをしようとするものです。特に茨城高専卒業生で起業された方は研究設備を利用できますし、共同研究も可能です。皆さんのご協力とご入会をお願いしております。茨城高専も企業も益々グローバル化しています。今後の発展に微力ながらお手伝いをしたいと思っています。


                          (昭44機卒幹事 宮地 守)